初代
富田重助 鹿助
(じゅうすけ しかすけ)
知多の古見を後にして名古屋へ移り、現在の本社所在地である旧鉄砲町(現 名古屋市中区栄三丁目)に、紅葉屋(もみじや)を創業。化粧品・小間物など雑貨類や食用油類を取り扱い、尾張藩御用商人としての地位を築いていった。
初代
富田重助 鹿助
(じゅうすけ しかすけ)
知多の古見を後にして名古屋へ移り、現在の本社所在地である旧鉄砲町(現 名古屋市中区栄三丁目)に、紅葉屋(もみじや)を創業。化粧品・小間物など雑貨類や食用油類を取り扱い、尾張藩御用商人としての地位を築いていった。
三代目
富田重助 重政
(じゅうすけ しげまさ)
神野(かみの)家より15歳で富田家の養子となる。胆力もあり先見性に秀でており、まさに快男児というべき人物であった。
「創意に生きる」家風をつくり、横浜・神戸開港直後の幕末にあって、従来の雑貨、食用油類に加え、舶来の毛織物を大量に扱うなど業容を拡大し紅葉屋を隆盛に導いた。
1866年
舶来物を取り扱う紅葉屋に対し、尊王攘夷派の尾張藩士による「紅葉屋斬り込み事件」が起こる。この事件は、城山三郎氏著『中京財界史』の巻頭や『冬の派閥』に取り上げられた。
横浜で盛んに海外との貿易を行った頃の三代目富田重助重政(前列右)。当時商人でありながら短刀所持を許され、こうもり傘に高下駄という姿。
四代目
富田重助 重慶
(じゅうすけ じゅうけい)
殖産事業、鉄道業、銀行・保険会社の設立などに参画し、名古屋経済の発展に寄与。
1880年頃
三重県の宮川上流などで、山林経営に着手。
1893年頃
叔父・初代神野金之助とともに愛知・豊橋の神野(じんの)新田(しんでん)の開発に着手。(1896年完成)
1896年
明治銀行の設立に関わる。
明治銀行は紅葉屋系の銀行として、名古屋銀行・愛知銀行とともに、当時は「名古屋三大銀行」と言われていた。
明治銀行本店
1900年
名古屋電気鉄道の創業に参画し、初代社長及びその後も監査役などを歴任した。
名古屋鉄道本社
当時、名古屋に本社のある唯一の生命保険会社であった福寿生命保険株式会社(後に1942年 政府の統制経済に伴う要請により明治生命保険(株)と合併)の設立や、福寿火災保険株式会社(同要請により日新火災保険(株)と合併)の設立に携わった。
福寿生命保険 開業当時の役員・幹部
また、四代目富田重助重慶は茶道に対する造詣が深く、関東大震災のために名古屋に移り住んだ三井財閥の益田鈍翁(本名:孝)と親交を深めた。
益田鈍翁氏
五代目
富田重助 重信
(じゅうすけ しげのぶ)
昭和初期の金融恐慌やそれに続く戦時下の苦難を乗り越え東朋グループの前身会社を設立し、現在の基盤を築くとともに、名古屋鉄道(株)や愛知化学工業(株)などの役員を歴任。
1932年
東朋グループ前身である養和会(資産管理会社)が設立される。
戦後、日立製作所特約店としてスタートした当時の社屋
1946年
東亜工業株式会社(商事部門の起源)が株式会社日立製作所と特約店契約を締結、名古屋鉄道株式会社に電話交換システムを納入し、日立グループ関連会社の総合代理店への道をあゆみはじめる。
1957年(昭和32年)頃 当時の社員
六代目
富田和夫
六代目・富田和夫の主な公職歴等
1958年丸紅株式会社を退社して入社、取締役営業本部長に就任。1966年には取締役社長に就任。戦後の農地解放や戦時経済崩壊の激動の中でそれまでの家業を一新し、(株)日立製作所の代理店として電気設備機器及び家庭電器製品の卸売販売を行うようになった
1969年
東朋製作所(メーカー部門の起源・のちに東朋エレクトロニクス→東朋テクノロジー)を設立 新東工業(株)の鋳造プラント制御システムを製造するため、自動制御盤事業をスタートし、1977年、自社にて多重伝送装置TOLINEを開発。この多重伝送の技術を活かした情報制御・生産管理システムを開発すると共に搬送機から精密洗浄機などの製造を始め、旧帝国紡績(株)の跡地を取得して新工場を建設し、製造業としての体制を整備した。
東朋エレクトロニクス 社屋
稲沢事業本部
1994年
上海市青浦区青浦鎮工業公司と合弁会社・上海東朋電子技術有限公司を設立し、後のグローバル時代への足掛かりを築いた。
上海東朋電子技術有限公司
七代目
富田英之
七代目・富田英之の主な公職歴等
三菱商事(株)を退社して入社し取締役就任、1994年には専務取締役就任、2001年富田和夫より代表取締役社長を譲り受ける。
1999年
米国KLAテンコール社より液晶検査装置FP20の独占的製造・販売権を取得して以降、液晶・半導体製造装置および検査装置分野での海外展開を進め、米国シカゴに駐在員事務所を開設。
段差測定装置FPシリーズ
2002年
上海市青浦工業園区に上海東朋科技有限公司を設立し、新工場を完成させた。(2004.4) また中国の経済成長にあわせ産業機器・空調機器の販売・工事・メンテナンスを目的として、東朋技術(上海)有限公司の設立し、中国事業の基盤を固めた。
上海東朋科技有限公司 新工場
2005年
米国ナノメトリクス社のFPD事業部門を買収し、膜厚測定装置の製造・販売を開始
2009年
FPD3次元測定装置 FPM
米国ザイゴ社より液晶検査技術の移転を受けた。液晶・半導体の製造および検査装置分野において海外の先端技術と当社のエンジニアリング技術を組み合わせ、業界トップシェア製品を築いた。
2012年
アメリカ・シカゴ事務所を業務の拡大を見据え、新たに関連会社としてToho Technology Inc. を設立。インドネシアに現地法人 PT. TOHO TECHNOLOGY INDONESIAを設立。
2015年
産業用端子台
(インターフェイス製品)
産業用の端子台(インターフェイス製品)を主に開発・製造する吉田電機工業株式会社を合併。従来の「はかる・つたえる」技術に「つなぐ」技術をラインナップに加え、メーカー部門の事業領域を拡大・強化。
医療用画像管理システム
アポロプラスプロ
医療機器製造の株式会社ダイトーマイテックの株式100%を取得し、完全子会社化。
医療機器事業に参入し、新たな市場開拓を開始。
2019年
管工事・消防設備工事などを手がける株式会社相互設備を合併
(「東朋テクノロジー株式会社 環境エンジニアリング事業部」として継続)
2020年
産業用発電ボイラー・大規模化学プラント向け熱交換器の化学洗浄や整備などを手がける
汽罐(きかん)化学工業株式会社の株式を100%取得し、子会社化。環境エンジニアリング事業の工事内容の幅を拡大。
2021年
プラント系電気工事を手がける長宅(ながけ)電機工業株式会社を完全子会社化。
従来から取り組んできた電気工事事業の拡充と関西地区の市場拡大を図る。
2022年
国内の中心工場である「稲沢ものづくり開発本部」(愛知県)に、クラス100のクリーンルームを備えた新棟を竣工。半導体製造・検査装置事業の拡大を図るとともに、制御盤・電子基板工場も一新。